勇気づけライフの勧め196号「アドラー心理学の考える責任の取り方」2017・4・27

おはようございます。アドラー東北の高橋です。
今週末からゴールデンウイークが始まりますね。皆さんも何かプランをお考えでしょうか?

家にいるとどうしてもいつもと同じ・・・になりがちなのでお天気がよければ外へと考えています。

今マインドフルネス(瞑想)についてまとめていて、「今ここ」に生立ち返る方法としてブームになっていますが、ストレスケアとしても有効だと言われています。

歩きながらできるマインドフルネスもあるので、宮沢賢治の童話の舞台によく出てくる種山高原にでも行ってカタクリの花を見たいなと考えています。
とはいっても私の場合には散歩の後のアイスクリームが目当てなんですけどね。(笑)
皆さんにとっても素敵なゴールデンウイークになりますように。

さて政治の世界はいろいろあわただしいようで、今回は復興相の辞任を受けて、アドラー心理学の考える責任とは?ということについて書いてみたいと思います。

今回の辞任に至る前に記者とのやり取りで激高したこともある方でしたが、明らかに他者関係が競合的であると皆さんも思われたと思います。

今回の言動についても「他者への配慮」が欠けており、それは明らかなことのように考えられます。

ライフスタイルが競合的であればどこで何をやってもこういうことは起ってくるでしょう。
競合的な所属の仕方を協力的な所属の仕方に変えることが必要になってきます。
協力的な所属を学ぶには通ってきて学ぶしかないのは以前も書きました。これは本を読んでもどうにもならないことなのです。

他者とうまくいかないのは「競合的である」からなんです。ライフスタイルもそれに伴う言動もです。

さてそれでは「責任の取り方」についてアドラー心理学ではどう考えるかということですが、日本では責任をとるというと「辞任」という事になってしまいます。

辞めて「やれやれ」で、そこから本人が何かを学ぶことができるかどうか・・がポイントになるでしょう。

辞めるのは切腹の発想です。辞める側も辞めさせる側も「切って捨てる」という発想になります。

アドラー心理学で責任という言葉を使うときには「仕事がある」という意味で使います。「ここに私の仕事がある」ということです。

職場で失敗をしてしまったら、たくさんの仕事がありますよ、ということです。
失敗を償うために、その失敗の原状回復をするために、今後同じ失敗を繰り返さないために、その失敗で傷ついた人がいればその感情を和らげるために、たくさんの仕事があるということになります。

英語のresponsibilityとは、反応する能力、すなわち課題に対して逃げずに「私はちゃんとここにいて私のすべきことをします。」という意味であり、そういう対応、応答をすることです。

そういう意味の責任の取り方を私たちは今からでも学んでいかなければならないし、子どもたちにも教えていかなければならないと考えます。

今の大人の責任の取り方を見ていると、子どもたちは「失敗したら辞めればいい」と考えてしまいますよね。

そう言う方法は、これからの日本を担う子供たちにとって良き選択と言えるかどうか。。

もしも失敗してしまった子供がいたら「残念だったね。これから何ができるか考えられるかな?一緒によかったら考えてみようか?」と言った言葉をかけて勇気づけて行きたいものです。

今回もお読みいただきありがとうございました。