勇気づけライフの勧め188号「どんな時も自分を勇気づける」2017・4・2

おはようございます。アドラー東北の高橋です。
今日は私事についてですが、いろいろ思うところがあり勇気づけと絡めて書いてみようと思います。

今年は私にとって何やらあわただしい年になりそうで、現実すでにそうなりつつあります。

4月新年度から地区役員を四つほど受け持つことになり役職の当たり年となりました。
先週ぐらいから引継ぎやら早速新年度のお役目が回ってきてあわただしく過ごしています。

そして明日は実父の入院・手術となりしばらく付き添ったりが続きそうです。

先日の事、親の介護を1人でやっていた同年代の男性の方が突然死しまして、ご葬儀にも参列してきました。

他にも兄弟がいるにもかかわらず、同居しているからと自分がすべてを引き受けて頑張っていらしたようです。

子どもが自分より先に逝ってしまう。親としてはこれほど悲しいことはないだろうと思います。

まあこんな感じで次々といろんなことが一度に押し寄せている感じなんですが、意外と冷静で楽観的な自分がおります。

これはアドラー心理学を学んでいるおかげかなと感じます。

「自分がやらなきゃだれがやる」もなくなりましたし、困ったら「他者に助けを求める」こともできますし、「黙って他者に委ねる」もできます。

「むやみにどうなるかわからないことで悩まない」ようになりましたし、何よりも「今ここで生きること」ができているので「そのときその場でベストを考える」癖がつき、先を読んでああしてこうしてと未来を予想して自動思考を膨らませることもないので不安もないし、そのことによる疲れもないのです。

結局一番疲れるのは「どうなるかわからないことをあれこれ悩むこと」だったり「本来どうすることもできない他者を、自分に都合よく動かそうとすること」だったりなんですよね。

「どうなるかわからないこと」に結論はないので、悩んでも仕方がないと割り切ることもできますし、もちろん「他者を動かそう」とも思わない。


長い人生こういう時期もあるわけで、どうなるかわからないからといって仕事を含めて自分のやるべき課題を止めたりもしない。

こういう時えてして「大変だ~大変だ。」と思えば自分は現実にプラスしてもっと精神的に辛くなるので「大変だ」とは思わず現実を淡々と受け止めて対処していく。

感情のコントロールであったり、真の楽観主義であったりと「勇気づける人の備える特質」をフルに使っていく。

自分を勇気づけることができると特に騒ぎもしない。事情説明が必要な場合にはする・・というだけの事。

勇気づけることが身につくという事は本当にすごいことだなと今の自分がとてもよく実感できるのです。

昨日会館のお掃除だったので(これも役職のひとつですが)、地区の何人かに連絡を取って朝の6時からでした。

あまり前に連絡をすると忘れる人がいるので、三日前に連絡を取ったのですが、それでも忘れてこない人がいました。

私としては「まあ、そういうこともあるよね。笑」ぐらいの感じだったのですが、その来なかったお2人が罪悪感を持ったようで、何度も何度も謝るので、ちょっと辟易してしまって。。

そんなことぐらいでそんなに自分の感情を使っていたら本当に身が持たないでしょうが・・・と思いました。

もともと「他者への批判」とか「勇気くじき」が蔓延している土地柄ですから、「責められないように」といういつもの行動パターンに陥るのは理解できるけれど、「そんなに自分を責めなくても、起こった事実は事実として次に気を付ければ?」ぐらいでいいんですよね。

相手が負担を感じないように笑って済ませましたけれど。。

アドラーを学んでいて本当によかったなあと感じることが多い春の始まりの今を過ごしています。

今回もお読みいただきありがとうございました。