勇気づけライフの勧め186号「何を持って不適切というのか」2017・3・28

おはようございます。アドラー東北の高橋です。
このところ地区役員の引継ぎやらご近所のお弔いなどが続いていて毎日毎晩出歩いています。(汗)

朝ドラ風に言うと
なんか、なんかなあ・・・。
すっかり地元になじんでいる自分を発見し、少々驚愕してます。(@@)

まあいずれにしてもアドラーを学んでいて自分の世界観が変わってしまったのは大きいかなと。。
周りが別に特別変わった風でもないので、自分の周りを見る色眼鏡が変わったとしか言いようがありません。

自分が変われば周りも変わる、目に入る世界が変わる。(のように見える。)と言えばいいのかなと、そんな風に感じています。

ライフスタイルの診断については結構ご要望もいただいているのですが、時間が取れなくてお引き受けできないでおります。

セミナーに出かけた折に秋以降取れれば時間枠を設けたいと思っていますので、HPのセミナー案内をかかさずご覧いただければと思います。

さて今日は勇気くじきに絡めて「不適切な行動」とはなんぞや?について書いていきます。

SMILEを学ばれた方だと「適切な行動」「不適切な行動」という言葉は耳慣れた言葉でしょうが、実際あまり使わない表現です。

「悪い行動」「間違った行動」「問題行動」と言わずにアドラー心理学では「不適切な行動」という言い方をします。

悪いとか間違っているとかというのは、個人の主観的な判断を含んでしまいがちなので、要するに判断する側の基準ということですけれど、それによって測られるイメージがあるので、好みも入ってきてしまう場合がある。

アドラー心理学だと所属している共同体に置いて、主観的な好みではなくて、その共同体に与える影響(破壊的であるなど)結末を予測したうえで判断する。

それで適切とか不適切という表現を使うのです。

その行動の結果、共同体の誰かが傷ついたり、共同体の存在そのものが脅かされたりということが起こりそうだという場合に「不適切」という表現を使います。

お子さんの行動について書いたほうがわかりやすいのでお子さんを例に書いてみますが、おおむね大人も不適切な行動をしていることは多々見受けられますし、同様に考えていいかと思います。

小学生になればほとんどのケースで不適切とわかっていてやっている場合がほとんどだと考えていいでしょう。

そして、そのことによって自分の得たいものを得ている。

「何が何でも自分が勉強も運動もあらゆる分野で完璧に一番になりたい」と思っている子どもであればどんな手段を使ってもライバルを蹴落とそうとしたりする。

相手の悪口を言ったり、仲間外れにしたり、いじめたり、ですね。
相手を貶めて自分が一番になるというのは実に安直な方法であり、これは不適切であることは明瞭です。

やる側はもちろんそのことが不適切であることをわかっている、知っている。それでもやっている。

適切な方法ではライバルに勝てない、自分が一番になれないと感じて不適切な行動に走っていると言えますし、アドラー心理学の視点ではこういう状況を「勇気を失ってしまっている」と言います。

多くの問題行動と言われるものは、この勇気を失って、適切な行動をできないでいる状態から来ていると考えてアドラー心理学では「勇気づけ」でその辺りを修正していくということになるかと思います。

以前どこかの政治家さんが「一番でないとダメなんでしょうか?二番では駄目なんでしょうか?」と言って物議をかもしたことを思い出しました。

この辺の事については次回以降も書いていきたいと思っています。
今回もお読みいただきありがとうございました。