勇気づけライフの勧め182号「不必要な競争意識を芽生えさせない」2017・3・15

おはようございます。アドラー東北の高橋です。
今朝は雨が降っていますが、この雨を境にいくらか気温が上がっていくようですね。

花粉症の季節になりましたが、私はもう30代からのお付き合いです。
心身一如の立場をとるアドラー心理学的思考からこの症状を考えるとメリット(目的)があってなってることになります。
とほほ・・ですね。(笑)

でも目的がなんであろうと花粉症という症状(手段)は適切かというと適切ではないので、「私の目的をかなえようとしてくれているのはわかるから、それはありがとう。でも必要ないの。花粉は命の源ですもの。嫌いになりたくないな。」なんてことを鼻の症状にお話ししたりなんかしてね。

お子さんの例でいうと、学校に行く時になるとお腹が痛くなるお子さんとか頭が痛くなるお子さんがおられると思うのですが、「行きたくない」が目的で、腹痛や頭痛は手段(方法)になるんですよね。

嫌なことや行きたくない気持ちを親御さんに素直に話せるようになると症状の必要がなくなります。そのためにはお子さんの気持ちを否定せずに受け入れる親御さんの存在は不可欠です。

自分の気持ちを感情的にならずに素直に話しあえる親子関係というのは、アドラー心理学的にも理想とするところです。

さてまた前振りが長くなりました。
今日は他者比較に絡めて勇気づけについて書いてみますね。

兄弟同士で比較されたり、学校でほかの生徒と比較されたりということがみなさんも経験がおありだと思うんです。

とても嫌な気持ちになりますよね。
なんだか自分が劣っている感覚に陥って自分の自尊心は大いに傷つけられます。

「健全な競争」いわゆるスポーツで闘う、競争するなど、はあっていいのですが、これが他の生活全般にまでその競争を持ち込んでしまうということになると他者と不具合を起こすことは避けられないでしょう。

極端な例でいうと、他者比較からは
A君に野球で負けたくない⇒A君の人格を含めて彼のすべてを競争の的にしてしまう⇒A君を敵だと思う、という公式になりがちだということです。

こういう具合の思考が出来上がると他者関係にとってよろしくないことはお分かりでしょう。
「野球というスポーツの部分で競争はするが、それ以外では競争の必要はない」

「坊主憎けりゃ袈裟まで」という言葉がありますが、袈裟は憎くても坊主は憎まない、になればいいのです。

特にお子さんは経験値の少ない分大人の言葉を丸まんま取り入れる傾向があり、「A君に負けるな」の一言を「何から何まで彼に負けてはいけない」と取る可能性があるのです。

言ったほうはスポーツで・・・の意味だったとしても、そうは取らない可能性がある。

従って勝ち負けに絡む他者比較をことさらに助長しないという意味で、誰かを引き合いに出して競争を煽る、やる気を引き出そうとするのはいい方法と言えないと思います。

精神的に健全なスポーツマン(ウィマン)は、競技を離れるとライバルとも仲がいいです。

リオオリンピックでメダルをとった男子のリレーメンバーはとても仲がいい。
普段は短距離のライバルであるのですが、これは誰かを比較対象として劣等感を克服することをしていないからであろうと思います。

あくまで劣等感克服の対象は自分であることがうかがえますね。
不必要な他者比較をせずにあくまで自分自身を高めることで劣等感を克服していけるように支援する。

私たち大人が子供や支援を受ける側の方たちにしてあげられることのひとつだと言えると思います。

今回もお読みいただきありがとうございました。