今回からしばらくの間勇気づけについて書いていこうかと思っています。
皆さんもご存じのように勇気づけはアドラー心理学の中核となる大事な技法であるわけですが、微妙なニュアンスがなかなか伝わりにくく、またどうしても言葉に囚われてできないと感じられることも多いようです。
褒めるとの違いももちろんですが、基本的な態度や何が大事かという事もおいおい書いていけたらいいなと思っています。
今回は一回目です。
アドラー心理学を学ばれても
なかなか勇気づけがうまくできないなあ・・と感じておられる方は多いのですが、一つ落とし穴があるような気がします。
「当たり前を勇気づける」ということです。勇気づけのタイミングがわからないとか、種を見つけられないという方はこの「当たり前」にまず気が付くようになっていくことが大事だろうと感じています。
「当たり前」は当然のことながら見過ごされます。
前回実家の両親とのやり取りことを書きましたが、あれが勇気づけになっていると気が付かれた方は多いと思います。
両親にとっては「普通に生活できること」は「当たり前の事」であったわけです。
しかし「普通に生活できていること」は決して当たり前ではなく、今回入院という事になってその悲観的な側面のみに彼らは注目していたという事になるでしょう。
これは勇気くじきの発想ですね。自分たちの勇気をくじいてしまっている。
そこで「普通に生活できることは当たり前ではない」ということを「勇気づけ」たということになると思います。
だから今の自分たちの状況に考えもしなかった側面から光が当たって「嬉しく感じた」ということになるでしょう。
毎日仕事に行って帰宅するご主人に皆さんはなんて声をかけますか?
私は「お帰り、お疲れ様」が普段ですが、時には「今日も帰って来てくれて、無事でうれしい」と声をかけます。
仕事に行って帰ってくることが当たり前ではないと思うからです。
食事を作って帰宅を待っている奥さんにご主人であるあなたは何と声をかけますか?
「今日も食事をありがとう。食事が用意されているのは本当に助かるよ。」でしょうか。
奥さんが具合が悪くて食事を作れなかったら、用事で家を空けていたりすれば「食事の用意がされていること」は「当たり前ではない」のです。
子どもが早く起きてきた。「早く起きてきたんだね。顔をいつもより早くみられてうれしい」
遅刻ギリギリに起きてきた。「ゆっくり寝られたんだね。ご飯の支度がゆっくりできて助かったよ。」
具合が悪かったら、学校へ行きたくなかったら、起きてきませんので「起きてくる」ことは「当たり前」ではないのです。
どうしても「特別なこと」を「勇気づけ」しようとしがちですけれど、特別なことに対して勇気づけをすると「特別なことをしなければ注目してもらえない」と相手は学びますので、特別なことをしようとするようになっていきます。
大人になってからも「特別であろうとする人」は皆さんの周りにもいるでしょう。何か人とは違う特別な場合だけ、周りや大人の注目を得たという経験を積み重ねてきたんだろうと思います。
そうすると「何が何でも」「特別」であろうとする。
これは「優越」というライフスタイルと相まった場合、他者に向けて、他者を押しのける、他者よりなんとしても優れようとする傾向に現れ、人間関係で不具合を起こす。
また「優越」を保持できないと知るや否や途端に勇気をくじかれたと感じて、態度や考え方、行動が悪くなったりする。
元GアンツのK選手なんて言うのはこのパターンでしょう。
今朝も私は早起きなので朝の3時からこうしてメルマガを書いていますが、それだって当たり前の事ではない。
「今朝もいつも通り起きてメルマガが書けるなあ、うれしいなあ」と感じながら書いている。
これは自分への勇気づけになる。
自分を勇気づけられるようになると他者に勇気づけられる必要を感じなくなるので、勉強会やセミナー等にいらした方はお分かりかと思うのですが、ご参加の方への勇気づけタイムは設けるけれども、その際に自分への勇気づけはカットしています。
極論を言うと自分に実害が及ばないあらゆることは「勇気づけ」の対象になるのです。
「朝起きれてうれしいなあ、今日も一日始められるなあ。」
「お弁当を作ってもらえてうれしいなあ。ご飯を食べられてありがたいなあ。」
「お弁当を作れてうれしいなあ。役に立ててありがたいなあ。」
「仕事ができて、仕事があってうれしいなあ。ありがたいなあ。」
「今日も生徒の顔が見れてうれしいなあ。」
「教科書を忘れたんだね。声をかける機会をくれてうれしいなあ。」
「今日も帰れてうれしいなあ。」
「一緒にテレビを見れてうれしいなあ。」
「居てくれてうれしいなあ。」(最終的にはここでしょうか。)
居てくれるだけでいいのです。
自分も相手もいてくれるだけでいい。
「当たり前」に気づく。それが勇気づけには大事な視点になるであろうと思っています。
今回もお読みいただきありがとうございました。