勇気づけライフの勧め169号「気持ちのずれ」2017・1・30

おはようございます。アドラー東北の高橋です。
一月も明日で終わりとは、、本当に毎日があっという間に過ぎていきます。

ドラマの「嫌われる勇気」、ご覧になっていらっしゃいますか?
三回目まで終わりましたが、どんどん面白くなってきています。
刑事ドラマとしても楽しめますし、アドラーの解説もところどころに入るので
前回の「あなたの顔を気にしているのはあなただけです。」というセリフには笑ってしまいました。

今日はその辺からメルマガを書いていきますね。

「自分のメンツをつぶされた、、、。」と感じたある女性が自分のメンツを取り戻すために主人公の弱点を知りたいと。。

どうしてメンツをつぶされたと感じているかというと「自分の考えをことごとく妄想である」として否定されているからです。

主人公の決めゼリフが「その推理(考え)明確に否定します。」という言葉がそれです。

私は海外のドラマのほうをどちらかというとよく見るのですが、厳しい言葉がじゃんじゃん人間関係では飛び交います。

言ったほうは「相手の方法や考え」について言及しているのに、取る側が自分が否定されたとしてむきになるパターンがよくあります。

相手の言葉を自分の人格否定としてとるのです。自分という人間が全部否定されたように取ってしまう。

ドラマ「嫌われる勇気」の主人公のセリフも、言われた側がメンツをつぶされたと感じて「相手の弱点を知って復讐したい。」なんて言う発想になっている。

言う側は相手の考えや推理を否定しているのであって、相手の人格についてどうこう言っているわけではない。

言う側の言い方の問題というよりも言われた側の認知の問題のほうが大きいように感じています。

これは日常のたとえば仕事上の評価についても同じで
「自分の仕事に対する評価」=「自分という人間に対する評価」
になってしまっていて、自分のメンツがつぶされたとか自分を否定されたととると実に生き難いだろうと思います。

発信する側と受け取る側の気持ちのずれの問題。
これは多いのではと感じています。

ドラマに対する評価は賛否両論あるようですが、勇気づけはどちらかというと耳触りが良いので、それがアドラー心理学だと思っていたり、そういう関係性に慣れすぎてしまうと、ドラマの主人公のようなほとんど感情を表に出さず、親しみやすさのない存在はアドレリアンとしてはあるまじき・・になってしまうかなと思います。

フレンドリーでなければならないとかね。。
べき、ねば、が入ればそれは「民主的」とは違ってきてしまう。
アドレリアンはこうあるべき・・みたいになってくるとちょっとなあ、、と思う。

私個人はフレンドリーでないアドレリアンがいてもいいと思う。
というか、いて当たり前と思っている。
ありのままの相手をそのまま受け入れるというのであれば。。

アドラーは、こんなことを言っています。
「他の人の自分に対する評価は、その人の個人的な意見であり、自分の価値そのものには関係しない」

相手に何かを言われてもそれをどうとるか、これは単に思考の癖の問題である。

誰かに言われた言葉をことさらに自分の中で膨らませて自己否定に走る。
ついでに言った相手を恨む、嫌いになる。。保身に走るもあるかなと。

いずれにしてもこういう傾向はある時ある場面で自分でハッと気がつけばいいので、あとは自分の中で修正していくしかない。。

人間関係のトラブルなんてものは大概こんなところから来てるんだろうなと。
そんな風に感じています。

フジ系で木曜日の10時からですので、見て見るのもいいかと思います。
今回もお読みいただきありがとうございます。