2月の勉強会で感情を取り上げようと思い、文献漁りをしています。
アドラーの文献で感情について取り上げているのは、アルテのアドラーセレクションの中の「性格の心理学」という本です。
そのなかに人と人とを分離させる情動として「怒り・悲しみ・誤用・嫌悪・不安(恐怖)」。
人と人とを結びつける情動として「喜び・同情・羞恥心」が書かれています。
感情の使用はライフスタイルの構造上使用する習慣であり、感情というお手伝いさんを雇っていると思えばいいかと思います。
自分の中に人と離れる働きをするお手伝いさんと人と結びつく働きをするお手伝いさんがいるということになります。
人と離れる働きをするお手伝いさんに活躍してもらうと他者と離れてしまうし、人と結びつく働きをするお手伝いさんに活躍してもらえば他者と結びつくことができる。
いずれにしてもアドラーを一通り学んでいくと前者のお手伝いさんの出番はほとんどなくなる。
出てもらうと不具合を生じるから、他者が離れていくんだなという事がわかるから。。
わかっていても使うのであれば、それは自分がそう決めているということなので、他者が離れるという結果を自分が引き受けるしかない。
先日のこと、地区の集まりに出た主人が「例の鬼が出た」と言って帰ってきました。
鬼ってのは「自分が気に入らないことがあるとガ-ガ-わめく人」のことを言う。
その人がわめくと周りが静まる。。
わめかないまでも大きな声を出す。
威圧感満載。
そうすると誰も意見を言わなくなる。攻撃の対象になるので。
これでは話し合いにならない。そのうち相手にされなくなる。
お1人鬼退治をされてしまった方がいて、あまりにも他者への言葉が強くひどい言い方をするので喧嘩になり、一斉に非難を浴びてしまったのです。
二度と地区の会合に出てこなくなりもう4~5年になります。
結果として排斥ということになってしまって双方の関係にとっては破壊的な事態になってしまったと言えると思います。
皆が嫌な気持ちだけを引きずってしまっている。
同じ地区に住んでいて顔を合わせることもあるのにこれはとても気まずいですよね。
大人同士穏やかに「優しさ」という感情を使って交流をしていけばこうはならない。
自分の意見を言うのに「優しく」言ってもいいわけでしょう?
そのほうが聴くほうも受け入れやすくなる。聞こうかなと思ってもらえる。
特に反対の場合に「意見」に「強い口調」をくっつける、という定説でもあるのか?と思います。
「鬼さんだって優しい時もあるのよ。」と主人に申しましたらびっくりされましたが。。(笑)
だって朝の散歩で出会ったりするとニコニコと「おはよう」と言ってくださるんですものね。
要は特定の集団の中で自分の優位を示す目的のために怒りというお手伝いさんを使う習慣を持っている方と言い換えればいいでしょう。
「感情は相手役がいて自分の行動の目的を達成するために使われるガソリン・お手伝いさん」
2月の勉強会ではそんなことを取り上げようかなと思っています。
今回もお読みいただきありがとうございました。