勇気づけライフの勧め165号「他者には他者の都合がある」2017・1・16

おはようございます。アドラー東北の高橋です。
土曜日は盛岡で勉強会、親の会、カウンセリング演習を行っていました。


「学ぶ」-「気づく」-「見届ける」の手順というのは本当に大事だと思っており、どの過程に自分がいるのか、「学ぶ」で止まっているのか、「気づく」で止まっているのか「見届け」までできているのか。。

「ムカッと」きたことをお話していただいた時に、「課題に踏み込まれたからだな。。」と気がつけばいいし、課題に踏み込まないでもらいたいという意思を伝えるところまでできれば「見届け」になる。

そこまでいってようやく自分のものになる。それを繰り返して自然に自分に身につく。

気づくところまで行くのには自分以外の考えに触れること。
自分以外の価値に気が付くこと。

「あれ?もしかしたら自分には~~の傾向があるんではないかしら?」と思うこと。

他者の中に入ることでその作業はできるようになっていく。
これは他者貢献にもなるんです。
自分が相手と違う考えを持っていることを知らせると相手の気づきにつながることがあるので、それは相手への貢献になるんですよね。
だから来るだけでいいんです。

そういう意味で今回の盛岡はとても得るものの多かった場で、それは私自身も同じでした。

厳しい寒さの中県内及び遠くからのご参加本当にありがとうございました。

さて今日のテーマはこの「学ぶ」-「気づく」-「見届ける」に絡めて「他者には他者の都合がある」という事について書いてみます。

アドラーを学ぶ以前の私がとても生き難かったのは「~べき」という思考がとても強かったのです。

学び始めて自分の持っている「~べき」という思考に気が付きそれを手放し緩める見届けをし続けてきたという事だなと思います。

ひとつ例をあげますね。
メールを打ったが返事がない。。
手紙を出したが返事がない。

これはどなたでも経験があることでしょう。
「メールに返事をよこさない」-けしからん・・というわけです。

「どうして返事をくれないんだろう」
「返事をくれないと先へ進めない」
あげくになんて失礼な・・と怒りへと。(笑)

まずアドラーを学び始めて「~べき」に気が付いた。気づきの段階です。
そこから「相手を信じる」ことからスタートしまして、「返事を待ってみよう」になった。

待ってみると二週間後とか最長で一か月後に返事が来た人がいた。
これには自分でもびっくりしました。
ちょうど本の執筆の原稿上がりの時期だったらしく、追い込みで必死だったとのこと。

でも信じているとほとんど必ず返事が来た。

それで次には自分の工夫が生まれたんです。ここから見届けの段階に入ります。

どうしても返事が欲しい時には、タイトルに「要・返信」と書くとか、メールの文面に~までにご返事が欲しい、~~の事情があり、と書き加えるとかね。。

それでも返信がない場合には、それはそれで「相手の決定・相手の事情」と考えられるようになった。

そういう工夫の繰り返しをしているうちに「メールに返信があるかどうか」については全く気にならなくなったんです。必要があれば返信が来るだろう、、ぐらいです。
ここまでいってようやく「~べき」の見届けまでいったことになろうかと思います。

誰に関心の向きがあるかというと、気づく前、「返事がない」とイライラしていた時は「自分」だったのですが、見届けの段階まで行くと「他者へ」に変わっています。

他者へ関心を向けましょうと一口に行ってもこういう過程があって初めてできるようになる。

「気づき」までは誰でも行けますが、そこから先の「見届け」へはアイデアが浮かばないこともあるから他者の支援が必要だと思うことも多いです。
創意と工夫も必要。

カウンセリング演習ではあらかじめ事例を提示して「ファーストインプレッション」をそれぞれにお話ししていただいたけれど、見事に全員その事例に対する印象・考えたことが違ってびっくりした。

頭では「認知論」がわかっていても、実際に目にすると本当に驚きます。

「自分の考え方の偏りや傾向を知っておくこと」が「他者支援」にはある程度必要と考えているので、たぶん皆さん自分の傾向に気が付いたと思うんです。
後は見届けに進めばいいので。

「他者には他者の都合があり、他者には他者の考えがある」
見届けの段階に行くことで「自分への関心から他者への関心」へということができるようになっていくんだなと、そんな風に感じた一日でした。

今回もお読みいただきありがとうございました。